サイエンスメルヘン    カラスになってみました

  《 第U章 本栖湖理科学研究所 》

 【 第U章 −6】 可能性ならニュートリノだが

 

 「またまたカラスの話や。さっき研究室で見せてもろうた赤外線写真も、カラスやったよね。」
 「はいそうでっせ。しかも茂屋方山に集まったカラスの大半も、これまたハシブトガラスでしたんや。」
 ふん、こしゃくな奴らだ。しかしこれは大発見の兆しなのでしょうか。
 それとも数年後には笑い話に終わる類の、壮大な勘違いですか。

 「ひょっとして種岡さん、彼等は何かの異常ば大気中で感知できるとかも知れんたい。たとえばイオン濃度とかさ。」
 「水素イオン、電離エアロゾルなんかについては、気象庁で常時測定記録を残しております。スモッグ監視の一環なんやけど。地震発生日を含め、数日前から特段の変化はあってまへん。」

 「地球磁場の乱れとかさ。」
 「能代市周辺の磁場についても、検討済みや。」
 「そいぎんた一体。」
 「はい、お待ち下さい。もうじき終わりますさかいね。」

カミオカンデ

 

 

 そう言って種岡先生はすっくと立ち上がりました。勿体ぶったしたり顔で、もう一度テーブルの方へゆっくりと戻り始めます。
 いよいよ最終章といったところなのか。それだけ念入りに論じたいのでしょう。
 ところが階段の途中で
 「おっとと。」
 なんだよ。蹴躓いてやがる。危なく両手を突いてつんのめるところでした。
 しっかりしてよ、先生。ここは最大の見せ場なんでしょう。芝居がかってでも、クライマックスに持って行きたいところなんでしょう。

 「いやあ、失敬、失敬。」
 体勢を立て直してリモコンを押したようですが、画面は変わりません。
 ほうら壊しちゃった。知りませんよ。
 照れ笑いをしながら演壇まで辿り着いた種岡先生は、捲土重来、起死回生、ピンチにも動ぜず冷静に、テーブル下のキーボードを直接操作して、ようやく次の画面を出しました。

 「かりに千歩でも譲ってでんな、こないな受感を可能性にできる、媒体を強いて挙げるとしたら、あたいらとしてはもう、ニュートリノの一種としか考えられんのでんがな。ああ痛ぁ。」
 「ニュートリノ。」
 えーっと。名前だけは聞いたことがありますが、確か陽子とか中性子などを作っている、さらにその元になる粒子じゃなかったですかね。

 

 「すみません。素粒子の一種だ、くらいしか知らんとばってん。」
 「ニュートリノちゅうのはでんな、放射性物質がベータ崩壊をする際に、中性子から電子を叩き出す役割りをしまんねん。質量はごっつ小さいか、またはゼロやと考えられとります。他の物質と作用することがほとんどあらへんさかい、透過性が非常に高いのが特徴です。」
 素粒子の一覧表がスクリーンに示されました。クオークやらレプトンなど、面倒くさそうな名前が並んでいます。

 「実は地表には宇宙から、大量のニュートリノが降り注いでまんねん。せやけど地球すら貫通してまうくらいやから、検出するのんはえらい困難でっせ。野田はんの身体にも、毎秒少なくとも 10 兆個以上のニュートリノが貫通しておるんや。」
 「じゅ、
10 兆個。秒で?」

 「もちろん目には見えへんし感じることもおまへん。パウリWolfgang Pauli オーストリア 1900年 〜1958年) がその存在を予言しておったもんの、実際に水素泡箱で写真が撮られるまでに、40 年以上を要しましてん。」
 見えない粒子が自分の身体を
10 兆個も通り抜けている。そんなこそばゆいことを言われても、即座に信じるわけにはいきませんよね。
 

ヴォルフガング・パウリ

 「1983 年に岐阜県神岡鉱山の地下 1000 メートルに完成したカミオカンデではな、3000 トンの超純水を蓄えた巨大タンクの壁面に 1000 本の光電子増倍管を設置してでっせ、ニュートリノが水の中の電子に衝突する際に放出されるチェレンコフ光を検出することで、その質量を割り出そうとしていまんねん。」

 スクリーンはカミオカンデ工事中の写真に切り替わりました。
 地下に掘られた円筒形の穴ですが、はっきり言って、でかすぎます。深さ
16.1 メートルのプールなのだそうです。当然ですが、夏休みに泳ぎに来ても、背が立ちません。
 それにしてもこの掘削用重機を、地下
1000 メートルまでどうやって運び入れたんだろう。そっちも気になります。

 「カミオカンデが地下に設けられたんは、他の素粒子による影響を避けるためや。それでもこれだけ大きなタンクの中で、増倍管にキャッチされるニュートリノは、1 日に 15 個ほどなんや。それだけ検出が難しいちうことでんな。」
 嬉しいことに、切り替えリモコンが壊れたお陰で画面転換のペースが落ち、このへんの映像はゆっくりと見ることが出来ました。

 「さっき宇宙から飛んでくるて言わしたたいね。誰が飛ばよるとですか。」
 「ニュートリノは超新星爆発の際に生み出されるほか、太陽からも常時放出されていまんねん。」
 「ふうん、星の中で作られよるとや。」
 「ま、ずっとそう言われてきました。せやけど、恒星中心部のような高温高圧の環境でのうても、ニュートリノはあちこちで生成され得る、ちうことを論証したのが、うちの研究所の村田嘉昭先生や。」

 

 まさに 『絵に描いたような得意満面』 というものが存在するとしたら、この時種岡さんが一瞬両目を大きく開いて見せた、どや顔でしょうね。
 ただし裕輔さんは中学以来、美術の時間は彫刻刀を研ぐ振りをしながら、なんとか時間をやり過ごそうとしてきた人種なので、絵には描けませんが。
 「そりゃすごか。その村田先生ちゅうのが、日本の素粒子研究の第一人者になるわけですね。」

 でも一瞬が経過した後、先生の表情は転変します。
 「つい半年ほど前に亡くなられましたんや。膵臓癌やったそうな。先週金曜日は、ここで先生の追悼シンポジウムをやったわけです。」
 さりげない、だけど湿った語調でした。

 「ノーベル賞候補に挙がっても可笑しない成果を挙げられたんやが、近年の科学理論は、どなたはんかが新しい地平を切り開いたいうても、実験技術の進化で間違いなく正しいと認定されるまでに、30 年から 50 年かかるのが普通なんや。ノーベル賞受賞の第一条件は、そんときに本人が生きておることですさかいな。」
 「おいくつでした。」
 「
48 歳でんがな。」
 「そりゃあ早か。」

 

 うわあ、この人がその村田嘉昭さんか。優しいお顔をされてますよね。目尻の皺が、いかにも良いお父さんといった雰囲気です。
 面識もない他人が、勝手な言い方かも知れませんが、この人は出世とか金銭とか、そんなものにはとんと無頓着だったのではないでしょうか。表情に現れていると思いますよ。
 そうした功名を残さない科学者達の執念が少しずつ積み重なって、人類の叡知は伸展してきているのですね。

 「ところでさ、その星以外の場所でニュートリノが発生する条件ていうとは。」

 「村田先生は、数百℃ 300 気圧程度でも、第 世代のニュートリノ振動が起こりうると立証されましたんや。やからしてたとえばやな、マントル上層部で岩石に大きな力が加わった場合やら、もっと言えば、プレートが最初に軋み始める頃。」

 「え、プレートが動き始める頃。」
 いきなりニュートリノなんてものを持ち出して来て、学者さんにしては根拠薄弱な話だよなと、最初は巨人半疑、じゃない中日半疑でもなくて半信半疑でしたが。
 「そうやな、平均すれば、歪みが限界点に達する数日前から数週間前。」

ミューニュートリノの方向分布
東京大学宇宙線研究所

 


 「ちょっと待ってくれんね、んならハシブトガラスは、そのニュートリノば感知したて言いたかわけですか。」
 それならなんと、物語の筋がびたっと繋がっちまうじゃないですか。
 「理論上でっせ、反電子ニュートリノならばあり得る話なんですんや。その可能性をわいたちは追ってまんねん。」

 

 驚きましたね。抑揚のないストレートな言葉が、脳天あたりにずしんと響きましたよ。
 「そがん言うたっちゃ、姿も見えんし何もかも通り抜けるごたるもんを、人間よっか先に動物が既にキャッチできとったてや。」
 「赤外線にしたって、人類がその存在を知ったのは、つい最近のことなんやさかい。」
 はい。そう言われれば、そうです。

 「もしそんなら種岡先生、年前の日本海中部地震のときでん、久喜沢地区のカラスたちはニュートリノば浴びとったわけよね。んならそん時、そのなんやった、ガムを噛んで。」
 「カミオカンデ。」
 「そう、そこでんニュートリノば検出しとったとですか。」

 「いえ、検出量は増えてまへん。」
 残念ながら、間髪を入れずクールな答が返ってきました。
 「ほうら、そん時に増えたちゅうなら、そんなら証拠になりますよ。でも。」
 「カミオカンデは、あくまでも宇宙から降り注ぐニュートリノの捕捉を前提に設計されていますさかいな。逆に地中からわき上がってくる方向の感度は、やや落ちると思われますんや。」

 うーむ、そうか。それに 点から放出されるニュートリノなんてのは、距離が遠くなれば放射状に拡散していくから、密度は減ってしまうんでしょうね。
 まさか岐阜県神岡町のカラスは、その時逃げなかったでしょうか。

 

素粒子の種類

・・  「現在、電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノの 3 世代は良う知られておますけど、第 世代ニュートリノについては、その正体がきちっとつかめておりまへん。」
 人類はやっと枯れ尾花の片影を、垣間見た程度に過ぎないのか。

 「やろからもっと簡便な装置で、地中からの第 世代ニュートリノを全国各地で監視できるようになるには、あと数十年が必要でっしゃろ。いやあ、100 年かいな。東海沖大地震も、東北地方大震災も、それまで待っていてくれれば良えんやけど。」

 ですよね。仮に種岡先生の話が的を射ているとして、それが我々の生活防災に役立つようになるのは、何時になることやら。
 だいいち、カラスの地震予知能力なんて、しかもそれが、なにやら得体の知れないニュートリノだって事を、世間の皆様方に了解してもらうだけでも、これまたなかなか大変そうじゃないですか。

 「村田先生の功績を具現化するためにも、カラス大移動との因果関係を明らかにするんが、我々の務めやと思うてます。やけど、どないやって実証するんか、その検討段階でまぁだ足踏み状態なもんで、みな胸を痛めてまんのや。」
 「胸だけじゃなかやろ。さっきのリモコン装置でちゃ痛めたろうし。」
 「あははぁ、ありゃ痛かったわぁ。階段途中での足踏み状態ですがな。」

ゲージ粒子

・・ 光子
・・

ウィークボソン

・・ グルーオン
・・ 重力子

ヒッグス粒子

荷電レプトン

  電子
  ミュー粒子
  タウ粒子

ニュートリノ

  電子ニュートリノ
  ミューニュートリノ
  タウニュートリノ

上系列クォーク

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  チャームクォーク
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下系列クォーク

  ダウンクォーク
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